アニメ「坂道のアポロン」より、長崎あるあると松岡君の生き方。


2018年3月10日公開。

映画「坂道のアポロン」





そこで、アニメ版を見ての感想と覚書を。


①長崎県民が懐かしさを感じるような場面が多数ある!




他県の人からみると、冒頭から長崎弁が田舎くさくて、受け入れがたい!と思われるかもしれません。

とくに、りっちゃんのしゃべるような長崎弁をしゃべる高校生は今はほとんどいないんじゃないかと思うくらい訛っています。

が、しかし!少し昔の世代の話と思って優しい耳と目とでみてほしいです。

見ているうちにだんだんと慣れてくると思うので!



あとは坂道の上の学校。

登りがほんとうにつらいが、たまに下りが魔法をかけられたようにスルスルと気持ち良いときがあったり。

長崎でなくても、坂の上にある学校に通っていた人なら、共感できる部分があるのではないでしょうか。



さらに、今はなき、寝台特急さくら

貝堀り

日曜の教会

バーのステラは、昔、銅座にあった映画館ステラ座を連想させます。



長崎で学生時代を過ごした人、育った人は特に、思い出とどこか交差する場面があるのではないでしょうか。



②アイドルになった松岡君と千の対比


※ネタバレあり。

高校の文化祭でロックバンドをやろうと千を誘った松岡君。彼は、とてもしたたかなキャラクターで恐れ知らずで突き進み、将来はめざしていたアイドルという夢を叶えます。おちゃらけた雰囲気ですが、しっかりと肝が座っている頭脳派な感じがします。

千と松岡君は親が貧乏で、将来、家族を支えていきたいという同じ思いを持っていました。

しかし、将来進んだ方向はそれぞれ違います。

二人を対比してみてみると、その根本には自己犠牲というキーワードがでてきました。



千は自分のせいで妹を命の危険にさらしてしまったという罪の意識があったこともあり、現実を直視できず、家族の前から行方をくらましてしまします。。

それは自分だけ夢を追いかけて、幸せにはなれないという発想からではないでしょうか。

一方、松岡君の家族はそういった事件は描かれてはいませんでしたが、自分のなりたい姿を最優先にし、文化祭で千と西見に見せ場を奪われたというダメな自分も受け入れて、それもエネルギーに変え、逃げずにアイドルに向かって突き進んだという点があります。まず、自分が成功をして、家族を支えるという考えのもとだったと思います。



では、どうして千は自己犠牲の発想に?

そして松岡君は自己優先の発想になったのでしょうか?



あくまで私の妄想、推測にすぎませんが、

幼少期に父親から受けた影響が関係するのではないかと思います。

千は幼いころ、父親から見捨てられた経験があり、深い部分で人との関わりを恐れていたり、コミュニケーション下手なところがあるのではないかと思います。

また、千の父も自分の思っていることを大事な場面でしっかりと言葉で伝えることができなかった人ではないか。

一方、松岡君の幼少期はアニメではまったく描かれていませんのでわかりませんが、貧乏でも父親からの愛情を感じ取りながら育ってきた、そんな親の背中を見てきたのではないか。

親から受け入れてもらいることにより生まれる自己肯定感より、ダメな自分も恥じずに表現していくことを覚え、家族も大事だが、自分の気持ちも大事にできる大人になっていったのではないでしょうか。



もちろん、千も松岡君のようになってほしかったというわけではなく、千の人間らしい部分はすごく魅力的で、不器用で温かさを感じます。



・・・と長々と書いてしまいましたが、このような妄想ができるくらい、それぞれのキャラクターが濃くしっかりと描かれていて、ここに書いた将来のことだけでなく、きゅんきゅんする恋のシーンや、これまた女の子にモテるであろう、じゅん兄さんという強力な男前キャラもでてくるので、みどころ満載です。



映画での演奏のシーンや演技も楽しみです。

↓「モーニン」は第1話や文化祭での名シーンでも出てきます。




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